2007年06月30日

龍源寺間歩

mabu.jpgこの周辺に600ばかりの間歩(まぶ:坑道)があり、その中でたった一つ公開されているのが龍源寺間歩です。

開発されたのが1715年、閉じたのが昭和18年(1943)、約230年間使われていました。

坑道の公開されている部分が156m、新しく通り抜けのためにできた所が116mあります。

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代官所跡

daikansho.jpg昔で言えば奉行所跡です。260年の間に59人の代官、奉行が交替しながら勤務していました。

なかでも19代目の井戸平左衛門が、さつま芋を取り入れたりして飢饉を救ったことで有名です。
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唐人屋敷跡

karajin.jpg朝鮮半島より渡来の技術者が住んでいた屋敷跡です。

この谷を栃畑谷といい、近くの昆布山谷とともに銀山七谷に数えられています。

この谷に沿ってたくさんの銀を精錬した跡や、住居跡の石垣が残り、昔賑わった様子を偲ぶことができます。

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佐比売山神社界隈

sahime.jpg佐比売山神社は文政元年(1818)に火事で社殿が焼けて、その後再建されました。

元は大内氏が益田から、鉱山の守り神金山彦命をこちらに移してきました。

代官をはじめ多くの人が朝に晩にお参りをして安全祈願をしたり、銀山の大盛を祈願していたようです。

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清水谷製錬所跡

shimizu.jpg9段に積み上げられたこの石垣は製錬所の名残で、徳川時代が終わりましてから大阪の藤田組が所有することになりました。

明治28年から当時のお金で20万円(今なら100億円以上?)を費やして造られたといわれています。


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